この年で結婚を意識したきっかけの続き。
②母親
私が35歳の時、母を癌でなくしました。73歳でした。
埼玉に住んで13年目。夜勤シフトで会社に行っていた時でした。15時位ですか。私の時間では夜中です。兄から電話があり
兄「いま母さんな、逝ったわ」
桜が咲く4月でした。
私はその数週間前に実家の四国に帰ってました。しかしコロナ過であり県外からの人はすぐには病院に入れず面会はできませんでした。なので目の前に母が入院している病院の前のスーパーの駐車場で兄からのテレビ電話で面会してました。
その当時は母は植物人間状態でかろうじて息をしている感じのようでした。私を認識しているのかしていないのか全く分からりませんでしたが、できるだけ声をかけたと思います。
母は定年で退職してもOB的な感じで少し仕事はしていたと思います。父と同い年なので第二の人生をこれから楽しもうという矢先でした。
母は50代で肺がん、胃がんになり手術しました。それでも仕事に復帰して元気でした。退職後、しびれがある。年々強まってきて調べたら、脳に腫瘍(転移?)ができて脳を圧迫していたそうです。そのため手足にしびれができて来て、最終的には半身がいうこと聞かなくなってきたそうです。家族の判断で放射線治療を選択しましたが結局あまりよくならず、最後は病室にて脳梗塞になり一年後呼吸できなくり、窒息という形でなくなりました。最後は父が一緒にいて連絡を受けた兄が来て、埼玉にいる私に電話をくれました。
生前、母は終活をしておりお墓も自分の葬式も準備をしておりお金もありました。なのでそんなにバタバタはしなく、また家族も心の準備ができていたため落ち着いて葬式はできました。まぁ私は何もやってなく兄がすべて段取りしてました。その時兄は焦燥感がすごくヤバいなと感じてました。
母はとても勤勉で仕事人間で、陽気な人で家族思いな人でした。また私は兄と10近く離れており一人っ子みたいな感じでしたが、3人目でもあるため、ほっとかれることは多かったような気がします。それでも一人暮らしで仕送りをしてもらい、大学まで出してもらい、不自由なく送りだしてくれました。
働きすぎだろ、と思うくらい母は21時位に家に帰ってきてそれから夕ご飯を作っていたこともあります。休日はあったかどうかなんてあまり記憶はありませんでした。仕事が好きなのか、そうしなければいけなかったのか。今ではわかりません。
父親は何してんの?と思うかもしれませんが父は目が悪く盲眼です。片目はほぼ見えません。それでもしっかり母と同じ理学療法士でリハビリの先生でした。
小さいころ家に電話かかってきて「先生いませんか?」と言われたとき私はびっくりしてましたが、今は誇りに思っています。
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最近父から聞いたのですが父は母と結婚した当初、周りから「よく嫁さん来てくれたな。」と言われたことがあったそうです。今やそんなこというとパワハラやモラハラと言われそうですけど。
そんなこと言われたのは理由はやはり目です。若いころは見えていたそうですが障害があるのはわかっていたそうです。やはりハンデがあったと思います。それでも母は父を選びました。父もお見合いしていたそうです。しかし見合いの女性ではなく6人目の方あたりの時に、友達が気にしている人がいるのでどうかという形で付き合って結婚にいたったそうです。お互い知り合いだったそうです。
そんな両親の出会いとか聞いたのは母がなくなってからでした。
それを父から聞いて自分になんでこんな素晴らしい両親のもとに生まれて不自由なく育って安心させることができないんだろう。親はちゃんと子供が生きて生活しているだけでも親孝行だ、とかあるけど、それはもうやってる。。。いややってないな。社会人になって両親に顔見せたので数える位しかない。喧嘩もしていないのに数年連絡を取らなかったこともあり心配した家族がはるばる埼玉まで来たこともある。
そんな母は「3人も男がいて孫の顔もみれんの」「あと何回あんたの顔がみれるやら」「元気にしとん」など口癖のように言ってました。そんな母の相手をするのが、当時の私はしんどく母の携帯番号をいまだに知らない。東日本大震災の時、発生からまもなくして母から電話がかかってきたとき登録してませんでした。誰だろうと思ってました。開口一番「大丈夫なんか?」それでわかりました。そっけなく返事してすぐ切った記憶があります。25歳位の時ですかね。
そんな母が帰る度、弱っていくのが申し訳なく何もできませんでした。
もしかしたら自分にとって結婚は自分自身にとって両親へ、特に母への感謝を示したいだろうなと思います。もちろんパートナーを大切にすることは間違いないですが。
だから私は父が生きている内に報告できたらなと。あの世で母に報告してくれる父を送りだしたい。
ただそれは縁があればなのでダメだったら、うちの息子はモテないやつなと笑ってくれ。
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続く
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